人脈作りに悩んでいるあなた!本当に必要なのは「強い人脈」ですか?「強い人脈」だけを追っかけても疲れるだけで、効果は上がらないのではありませんか?それよりも「弱い人脈」に注目してみませんか?「弱い人脈」には「強い人脈」からでは持つことができない「力強さ」が備わっています。そう、「弱い人脈」は、実は力強いものなのです。
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前回、弱い人脈の方が強い人脈よりも、就職活動としては強力なツテになることを説明しました。
では、なぜ「つながりの薄い」ヒトが、就活の女神様になったのでしょうか。今では、次のように説明されています。
「友だちの友だちは、また、友だちだ」というフレーズが、以前ありましたが、みなさんは覚えていますか?
言葉通りにとれば、自分の友だちAと友だちBが互いに友だち同士だということになります。これを図で表せば、自分とA、自分とB、AとB、のそれぞれが友だち同士ということになり、友だちの三角形ができることを意味します。
では、こうした友だちの三角形は非常に珍しいことでしょうか。それとも、ありふれたことでしょうか。
ちょっと思いめぐらせてみていただければ分かるかと思いますが、自分の友だち同士も互いに友だち(少なくとも知り合い)だという関係は意外と多いものです。
「ヒト」という動物は本来群れで行動する習性を持っています。
以前に申し上げましたが、ヒトは長い進化の歴史のほとんどを、100人程度の小集団で過ごしてきました。当時の祖先から見ると、過酷な自然環境や恐ろしい野生動物のいる世界では、単独で過ごすよりも、集団で過ごす方が、はるかに生存確率が高かったのでしょう。
その当時の習慣が、ヒトの運命を決定づけました。ヒトは本来、1対1の付き合いよりも、集団の輪の中に入る方を好むように習性がであがったのです。つまり、全く別々の人と個別に人間関係を深めるよりも、グループの中に入り、そこの人たちと、一様に仲良くなる方を好む習性をもつようになりました。その結果、先ほどのような「友だち同士もまた友だち」という状況が生まれやすくなったのです。
このように言うと、難しく聞こえますが、通常の生活を考えていただければ、当たり前かと思います。通常の付き合いをまとめていくと、幾つかのグループにまとめることができます。職場グループ、趣味のグループ、家族も一つのグループと考えても良いかもしれません。
そうしたグループ内では、互いが互いと結びついています。職場グループであれば、その中の人々は互いが上司・部下あるいは同僚の関係です。友人グループも同じように考えれば、「友だちの友だち」も同じグループの中にあり、友だちになっても当然と考えておかしくないのではないでしょうか。
さて、話を就職活動に戻すことにしましょう。
こうした人間関係は、通常の生活では当たり前ですし、非常に好ましいことです。友人同士が、また友人であれば、双方とも付き合うことで、関係が深くなります。また、接点も自然と増えてくるので、それぞれが持っている情報に接する機会も多くなってきます。
友人とは、まさに強い人脈で結ばれた関係であり、それぞれが密に接しているつながりなのです。
しかし、逆に言えば、このことは自分が持っている知り合いと友人が持っている知り合いとが、かなりの部分で重なっていることを意味します。親しい友人であれば、その人間関係はある程度、把握することができます。
逆に、あまり親しくないヒトの場合、そのヒトの友人がどのようなヒトかは、全く分からないため、「えっ、このヒトって、こんな知り合いがいるの」と言った驚きの回数は、親しい友人よりも多くなりがちです。
そのため、親しい友人から自分の知らないヒトを紹介してもらったり、情報を提供してもらったりするチャンスは、意外と少ないのです。強い人脈でつながっている友人であればあるほど、情報の重なりは大きくなるため、この傾向は強くなってきます。
逆に、それほど親しくないヒトであれば、自分とは違う世界に接している可能性が高いので、新しい情報源としては非常に効果を発揮します。
就職活動にこのことを当てはめてみると、自分が持っているシュウカツ情報と親しい知人が持っているシュウカツ情報は似たり寄ったりであるのに対して、親しくないヒトが持っているシュウカツ情報は自分の知らない未知の情報が多く含まれていることを意味します。自分が知っている情報であれば、既に試しているはずですから、「未知の情報=次のチャンス」となります。そうした新しいチャンスを提供してくれるのは、あまり親しくないヒトなのです。
ここで実例として、見てきたのは「就職のきっかけ」に関する調査でしたが、突き詰めてみると、この法則はかなり応用範囲が広そうです。例えば新規ビジネスを検討するとき、自分と情報源が似たような社内の人間を相手にするよりも、普段は付き合いの薄いヒトの方が全く異なる情報源を持っており、新たな発見を見出しやすいことになります。
この現象を発見したグラノヴェッターは、この説を「弱いきずなの強い力」と名付けました。このブログのタイトルの「弱い人脈の強い力」はここから拝借しています。
つづく2011-12-20(Tue) | 5.1. 就職活動の女神様 | comment : 1 | Trackback : 0
1973年に、一つの面白い調査が米国で行われました。約300名のオフィスワーカーに「現在の職をどのようにして探しましたか」と尋ねたものです。
もちろん、1970年代の調査ですから、インターネット上でのシュウカツ(就活)などありません。当時の就職活動の基本は「人づて」です。誰かから直接紹介してもらうか、あるいは「あの会社が募集をかけているぞ」と言った類の情報をもらって、その会社にアプローチすることが基本となります。
ですから、この調査の質問をもっと正確に言うと「現在の職を探すとき、『誰から』の紹介や情報が役に立ったのですか」と言うことになります。つまり、就職活動で鍵となった「就活の女神さま」は誰だったのか、を訪ねたわけです。
さて、この調査で最も多かった回答は何だったと思いますか?
大抵のヒトは、「仲の良い友人」や「親密な取引先の関係者」といった強い人脈の相手を想像されるのではないでしょうか。しかし、実際の調査結果からは、全く異なった事実が浮き上がってきたのです。
調査の結果、最も多かった回答は、「個人的な縁故を通じて」職を見つけた人で、その割合は56%でした。続いて、「求人広告や人材スカウト会社など」と答えた人が19%、「会社への直接応募」が20%という結果だったのです。つまり、全体の過半数が人的なコネで就職先を見つけ出していたのです。
「ほら、やはり、ヒトとの深い付き合いは大事なんだ」と考えたあなた。ちょっと待ってください。実は、この調査では「個人的な縁故を通じて」と回答した人にさらに詳しく内容を聞き出していたのです。
そうしたところ、「個人的な縁故を通じて」と回答した人のうち、「しょっちゅう会う親しい友人」と答えた人はわずか17%しかいませんでした。残りの83%は「時たま」あるいは「まれに」会う人から就職先の紹介を受けていたのです。
ちょっと数字が多く出ているので整理しましょう。ちょっと昔のクイズ番組風に。。。
司会者 「就職活動を無事に終えて、就職できた人100に聞きました。正解は4つ。あなたの『就活の女神様』は誰でしたか?」
回答者 「求人広告や人材スカウト会社」
司会者 「まとめて19人で、第3位」
回答者 「そうだな、会社への直接応募」
司会者 「お、度胸のある人は20人で、第2位」
回答者 「はいはい、良く知っている人」
司会者 「残念。意外と少なく10人で、第4位」(56%×17%=9.5%)
司会者「おや、1位が開いておりませんね。さあ、そろそろ1位を当ててもらいましょう」
回答者 「うーん、あまりよく知らないつながりの薄い人」
司会者 「大正解。46人で、第1位」(56%×83%=46%)
いかがでしょうか。イメージが少し湧いてきたでしょうか。
この調査から言えるのは、自分のことを良く知っているつながりの濃いヒト(強い人脈)よりも、どちらかと言えばつながりの薄いヒト(弱い人脈)の方が、就活の情報源としては貴重だったということです。
ここから格言を導き出すとすれば、「就活では、近くの強い人脈よりも、遠くの弱い人脈」ということになりそうです。まあ、あまり、ゴロが良くないので、格言として成り立たせるには、もう少し洗練させる必要はありそうですが。
この調査は、当時の(そして現在でも)常識とはかけ離れた結果だったため、米国でも大きく注目されました。調査を行ったマーク・グラノヴェッターは、当時博士課程に在籍していた研究者の卵でしたが、この功績により社会学者として名を高め、現在はスタンフォード大学の社会学部教授として、そして、社会学の重鎮として活躍されています。
つづく2011-12-20(Tue) | 5.1. 就職活動の女神様 | comment : 0 | Trackback : 0
前回までで、弱い人脈の大きな特徴である「
スピード」と「
多様性」について、簡単な紹介をしてきました。本当は、この二つの特徴について、もう少し書いていきたいところですが、話を先に進めることにします。
ここからは、弱い人脈の具体的な実践例についていくつかご紹介していきたいと思います。弱い人脈が実際にどのように使われているか、イメージを持っていただけたら、うれしく思います。
つづく2011-12-20(Tue) | 5. 弱い人脈の実践例 | comment : 0 | Trackback : 0
前回までで、集合智の特徴についてお話ししてきました。今回から、「弱い人脈」に話を戻すことにしましょう。
弱い人脈は、すぐに切れてしまうような弱い関係ですが、その分、構築や維持にエネルギーを使わないため、強い人脈よりも広く多方面に張り巡らせることができます。そのため、弱い人脈でつながっている人は、「多様」で「独立」し「分散」している間柄になります。
弱い人脈でつながる相手とは、様々で多様な機会に、知り合うことができます。知り合いの結婚披露宴で同じテーブルに坐った人かもしれません。あるプロジェクトの一環で、たまたま紹介された人かもしれません。もしかしたら、子供の文化祭で一緒に焼きそばを焼いた人である可能性もあります。
いずれにせよ、弱い人脈の先には、日常の業務では知り合えないような、「多様」な人々がつながっているです。
しかも、弱い人脈でつながっている場合、互いに相手を知ることはありません。おそらく、当人同士も、「あなた」という人を介して、つながっているとは夢にも思わないでしょう。その意味では互いが影響を与えることも、受けることもない「独立」した関係になっています。
さらに、弱い人脈でつながっている方々は、非常にバラエティに富んでいます。当然のこととして、彼らが持っている知識や経験、情報源も異なってきます。仕事も年齢も、場合によっては働いている国も違う訳ですから、かなり幅広く「分散」させることができるでしょう。
つまり、弱い人脈であれば、集合智に求められる三条件、「多様性」、「独立性」、「分散性」を比較的簡単に確保できるのです。これは強い人脈には持ち得ない大きな力となります。
このことを強い人脈と対比して考えてみましょう。ここでは、典型的な強い人脈として、職場の同僚を例に挙げたいと思います。
同じ職場に勤める同僚であれば、仕事の進め方などに、ある程度の共通項がありますので、当然ながら「多様性」は期待できません。それぞれに意見を訪ねたとしても、互いの顔色を気にしながらの発言となりがちのため、「独立」した意見にもなりえません。また、同じ方面の仕事をしているわけですから、知識や経験も似たりよったりです。その意味では情報源の「分散性」も確保しづらいでしょう。
つまり、「多様性」、「独立性」、「分散性」のいずれをとっても、職場の様な強い人脈には期待はできません。そのため、いくら意見を集めたとしても「集合智」にはなりえないのです。
ここに、弱い人脈のもう一つの強い力(パワー)が見えてきます。弱い人脈は、「薄く」「広く」「低コストで」人脈を張り巡らせることができます。その結果、「多様性」と「独立性」「分散性」を兼ね備えたヒトのネットワークを構築することができるのです。いや、正確に言えば、わざわざ意識しなくても、そうしたネットワークが自然と出来上がってくるのです。
あなたも、一度名刺箱を見直してみて下さい。強い人脈と弱い人脈により分けた時、弱い人脈の方が圧倒的にバラエティに富んでいることが分かると思います。そのバラエティさが、大きな力を秘めているのです。
つづく2011-12-05(Mon) | 4.3. 弱い人脈で「集合智」を募る | comment : 1 | Trackback : 0
前回までで、「集合智」に関して、簡単な紹介をしきました。今回から少し詳しく説明していきたいと思います。
マルコム・グラッドウェルと同じく、雑誌「ザ・ニューヨーカー」のコラムニストでもあり、集合智に関する書籍もあるジェームズ・スロウィッキーによると、集合智には必ずしも優秀なヒトを集める必要はなく、人数もさほど多くする必要はないそうです。単純化して言えば、独立した判断を下せるヒトを何人か集めてくれば、それだけで一人よりも優れた判断を示せるというのです。
ただし、集合智を生み出すためには、三つの条件が欠かせません。それは、「多様性」、「独立性」、「分散性」です。
第一の「多様性」とは、「かなり突拍子もないとしても、様々な意見を持っている」ことです。どこかで聞いたような意見ではなく、他のヒトが考え付かないような意見を参加者全員が持っている集団が、最も多様性に富んでいると言えるでしょう。
第二の「独立性」とは、「他のヒトの考えに左右されない」ことです。自分だけのオリジナルの意見を持ち、他のヒトの意見に流されないことが重要となります。
第三の「分散性」とは、「身近な情報に特化し、それを利用できる」ことです。例え、独立した意見だったとしても、その意見の下地になった経験や知識、置かれた状況が同じようなものであれば、意味がありません。できるだけ異なった経験や情報源、状況に分散していることが重要となります。
この「多様性」、「独立性」、「分散性」を揃えたチームが、意見を上手く「統合」させたとき、はじめて集合智が生まれるのです。
スロウィッキーによると、たとえ優秀な個人であったとしても、「常に」優れた判断をすることはできません。それよりも、様々な経験・背景を持つヒトが何人か集まり、多様で独立した意見を出し合った方が優れていると言うのです。
特に、現代のように情報が溢れ、複雑になりすぎた社会では、一人ひとりが全ての情報を把握することは不可能です。そうした状況では、どんなに優秀なヒトでも「想定外」の事態は必ず存在します。多様な人材を集めることで、一人のスーパーマンよりも優れた判断を継続的かつ安定的に出すことができるようになるのです。
このことは、オーケストラやサッカー・チームに例えると、分かりやすいるかもしれません。
ご存知の通り、オーケストラでは、様々な楽器が組み合わさって音楽を奏でます。一つ一つの旋律は必ずしも完成されておりません。主旋律パートはともかく、副旋律パートになると、原曲を知っていないと、子供が遊んでいるようにも聞こえてきます。
しかし、それぞれの旋律が組み合わさって、一つの大きな楽曲になった瞬間に、単なる音階の組み合わせから偉大な交響曲が生み出されるのです。その音楽の素晴らしさは、個々の楽器単体では決して奏でることのできない旋律です。だからこそ、数百年にわたり、オーケストラが愛されてきたのでしょう。
オーケストラの素晴らしさは、まさしく「組み合わせの妙」にかかっています。多様な音色を発する楽器が、全て同じ旋律を奏でていても、偉大な曲にはなりません。それぞれが自分のパートを認識し、他の楽器に引きずられないよう、独立した旋律を奏でることで、はじめて人を感動させることができるのです。
同じことは、サッカー・チームに対しても言うことができます。サッカーでは、全選手がボールに群がり、一か所に集まっていては、勝つことはできません。できるだけ周りの選手とかぶらないよう分散し、コート全体をうまく使わないことには、ボールを運ぶことすらできません。相手の攻撃を守る際にも、全員が重ならずに独立して、違う相手をマークする必要があります。
また、オーケストラの楽器同様に、サッカーのチームメンバーにも多様性が求められます。シュートが上手いフォワードだけでも、あるいはボールさばきが巧みなディフェンスだけでも、優秀なサッカー・チームは成り立ちません。足が速いもの、キック力が強いもの、瞬間的な判断力や統率力に優れているものなど、様々な個性が合わさってこそ、チーム力に深みが増していくのです。
集合智も同じです。分散した経験・知識を持つ、各々が独立したヒトが、多様な発想を持ち合うからこそ、個人を超えた英知がもたらされるのです。これは、同じ思考、同じ発想、同じ経験だけしか持たないチームには得られない強みです。「多様性」、「独立性」、「分散性」が集合智のキーワードなのです。
そう考えると、
山本部長が失敗した原因も見えてきます。彼は、こうした条件を考慮に入れていなかったのです。
「多様性」に関して見ると、集めたのは主に同じ大学のサークル仲間でした。おそらく生活習慣も似たり寄ったりで、多様とは言い難かったでしょう。また、「分散性」に関しても疑問です。すべて同じ部屋、同じ温度で、同じ状況でテストが行われていました。試飲のため、飲んだ量もそれぞれ一口分しか口にしておらず、シチュエーション的な分散はほとんどない状態でした。
かろうじて「独立性」だけは保たれていましたが、他の二つ、特に分散という観点からは程遠く、おそらくそのことが失敗の大きな原因になったと思われます。
つづく2011-12-04(Sun) | 4.3. 弱い人脈で「集合智」を募る | comment : 0 | Trackback : 0
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